RESONANCE MATERIALS Projectはアートを媒介に、素材と鑑賞者の内面を響かせる企みを続けてきました。その企みの場として選んだMilan Design Week 2018・2019、そしてDESIGNART TOKYO 2021。それぞれのシーンにたずさわったメンバー達はどのような想いや視点を持ち、そしてプロジェクト参画を通じて何を感じたのか。このプロジェクトに流れるコンテキスト&ナラティブ(物語)を御覧ください。
このDESIGNART TOKYO 2021では、2名のアーティストが作品を発表します。熱を介することで導かれる事象に目を注ぐ地村洋平と、人間の自然への眼差しと古くからの営みに着目する臼井仁美です。そんな二人がかたる、こだわる素材の魅力、アートへ注ぐ想い、そしてコロナ禍を経て想うアートの価値を御覧ください。
祖父が大工で父が設計士という影響もあって、早い時期から美術系に行きたいと思っていました。最初は建築やデザインの分野を考えていたのですが、美術系の大学を目指すにあたって、『手に職を付けたい』という思いが強くなって、そこから工芸に興味が向くようになったんです。そして、そんな時期に、たまたま『TVチャンピオン』というテレビ番組の“ガラスアート王選手権”という企画を見て、自分なりにガラスに可能性を感じまして。さらに、それとほぼ同じ頃、明治期に活躍した工芸のスーパースターの作品にもすごく感動して、『ガラスの専攻はないけど、こういう人たちを輩出した学校なら、まずここに行かなきゃダメだ』ということで芸大を目指しました。
芸大で鋳金を専攻したのは、鋳金の先生が『ガラスにも“型”の仕事がある。まずは鋳金で“型”の技術を学んでおくと後に役立つはずだ。君を決して後悔させない』と言ってくれたことが大きな決め手になりました。実際、鋳金はすごく楽しくて、ガラスは断念して、どっぷりと鋳金をやろうと思ったこともありました。でも、卒業して次の進路に進む時、『ガラスがやりたい』という思いが湧いてきて、本格的にガラスの技術を学ぶことにしたんです。
僕の作品づくりは、『この技法で作ろう』ではなくて、まずは作りたいもののイメージがあって、そこに技法を組み入れるという考え方。技法から発想してしまうと、ゴールが限定されてしまうというか。それだけは絶対にやめようと思っています。
作品のイメージや着想は、素材とのやりとりの中から生まれるものが大きいです。たとえば、野球選手がバットの素振りをするように、具体的な作品制作とは関係なくガラスを吹いたりするんですけど、そこにけっこう発見があったりする。それから、ガラスや金属を扱っていると、思うようにならないことも多くて、それをクリアするためにいろいろ工夫するんです。治具の制作に、ひたすら時間と手間を費やしたり。そういう体験も作品のネタになったりします。自分で一から百まで素材を触っている人間だからこそ気づくものを見せたいと思っています
自分は造形作家だと思っているんですけど、すべてを自分で思い描いて完成させた造形物って、なんか気持ちが悪いんです。『自分は、そういうセンスないな』とさえ思ってしまう。でもそこに自分の想像してなかった何かが加わることで、すごく良くなったり、より気持ち悪くなったりして、その方が面白い。
ガラスは、熱を加えると重力で勝手に曲がってしまったり、意図したとおりにならないことも多い素材。そういったこととせめぎあいながらイメージ通りの造形物を作るのがこれまでの作品制作だとしたら、今は造形物という枠の外で作品が展開しているというか、僕は方向性だけ示して、そこから勝手に物語が生まれて、それが作品になるというか。そんな印象です。だから自分は、いわゆる“造形作家”ではなくて、 “いろいろな要素が組み込まれてできあがる作品の、そのもととなる造形物を作る人”という感覚です。
割とすぐに長期戦になると思ったので、まず自宅での仕事環境を整えました。もとに戻るのを待つのではなくて、この環境と付き合っていくための態勢を整えたわけです。芸大の授業でも、学生に『きっと長期戦になるから、この状況から逃れるんじゃなくて、この状況の中でどうやっていくか考えるべきだ』といった話をしました。不便とか不都合はいろいろあるけど、長い目で何かを学んだり、今できることをやっていくしかないですよね。
クリエイティブなものを作ろうと思ったら、今までやってきたことを超えるというか、固まったら壊すみたいな作業を続けないといけないんですよね。少なくとも僕自身は、定期的に自分のスタンスやスタイルを見直してきました。それは、今までやってきたことを捨てるのではなくて、同じ円を描きながら螺旋状に上昇していって、ある時、思い切って別の螺旋に飛び移るというようなイメージ。そうやって自分をバージョンアップさせていくわけです。そして、今は、まさにそのジャンプのタイミング。今までの螺旋の先に、次の何かを見つけられればと思っています。
展覧会が開催できなかったことも影響しているのかもしれませんが、ここ最近、個人で作品を所有するという需要が高まっているような感覚があります。作家が個人的にECサイトでの販売をはじめたり、作家を応援している方々が、これを機に手ごろな作品を購入したり、そういう流れが生まれている。こういう時期だからこそ、癒しというか、ちょっとした贅沢というか。実際、僕も欲しいと思ったし、買いたいと思いました。アートと人の付き合い方に、新しいシーンみたいなものが生まれているのかもしれませんね。
2015年東京芸術大学博士課程修了。ガラス造形や金属鋳造を学び、日常的に素材を溶かす制作環境に従事。この経験から、熱を介することで導かれる事象に興味を持つ。ガラス、金属、熱したプラスチックを用いて、立体、平面、インスタレーションやパフォーマンス作品を発表。
[ 直近活動 ]
2021年「北アルプス国際芸術祭2020-2021」(長野)
2019-2021年 「Ai Mi Tagai exhibition」(Tokyo×London)
2019年 個展「≠世界」千葉市文化センター/公益財団法人千葉市文化振興財団主催(千葉)
一度、美術とは関係のない大学に入学したのですが、そこでは私の学びたいことを学ぶことは難しくて、卒業はしたものの『これからどうしよう』『どうすれば生きたいと思えるだろう』みたいに、挫折というか、将来を見失うような状況になってしまって。そんな中で、だんだん『一つの技術を突き詰めていくようことなら……』と思えるようになって、そういうところから美術の道を選んだというのが最初のきっかけです。
芸大では学部で漆を学んだのですが、漆は接着材や塗料として使われることは得意ですが、形を作ることが難しい素材だということもあって、漆を塗る対象のひとつである“木”へと興味が移っていったんです。さらにそこから、人がものを作る原点というか、『人間が最初に手にした道具は木に違いない』といった発想で作品をつくるようになったり、さらにもっと興味がさかのぼって、木材としての“木”ではなく、森にある“木”そのものの姿を作品の対象にしたり。数年前には、フィンランドに滞在しながら、森に行って素材を採集して作品をつくるということも実現できて、今もそういうことに目を向けながら制作をしています。
植物を見ると、その特徴が人間の生活のあらゆるものに重なって見えてしまうような感覚というか、『人間の暮らしに関わるものの多くは、植物の形や特性が起源になっているのでは?』というような思いがあって。そういう感覚や想像が、例えば、生活の道具や人の一部を本物の植物と置き換えたり、見立てたりといった発想に繋がっていく。そういう制作を通じて、人間と植物の関わりを考察していければと思っています。
私の場合、自分を表現したいとか内面的なメッセージを訴えたいという思いが制作の動機にはなっていません。そういう意味で、私自身は“からっぽ”なんだと思います。 例えば『太古の人間は植物や木とどう付き合っていたのか?』というような疑問が着想の原点にあって、それをもとに、まずは木や植物や空間と人間との関わりをイメージしていく。そして、『この枝や葉の形にはどんな意味があるんだろう』とか『この葉っぱの姿にレース編みの起源を感じるのはなぜだろう』とか、そういうものをもとに手を動かしながら新しいものを探っていく感じです。
この状況になる前は、社会のスピードが目まぐるしくて、息切れしていたような状態でした。いろいろなアーティストが活躍していて、展覧会もどんどん開催されて、『もう追いつけない』みたいな感じで……。でも、みんなが一斉に活動を止めたことで、一度、息を整えられたというか、『この期間に、自分もみんなのところまで追いつこう』という気持ちになりました。
こういう状況になった当初は、いろいろと『こうしたほうがいい』とか考えたのですけど、最近は『結局、自分は自分でしかいられないし』とか『自分ができることをやるしかないよな』みたいな感じに戻りつつあります。
私は二十歳の頃まで、世の中は完璧だと思っていたんです。大人になったら喧嘩もしないし、完璧な人間になれるって。でも、全然そんなことないし、学校で勉強することは正解ばかりじゃないし、不合理なこともいっぱいある。そういう完璧じゃない世の中に対して、何だかよくわからない気持ちを代弁してくれたり、『こういうふうに考えることもできる』とか『こういうふうにイメージすることもできる』みたいな可能性を教えてくれたり、世の中には説明できないことがいっぱいあるけど『感じたままでいいんだよ』とか『いろんな捉え方とか表現方法があるけど、どれも正しいしどれも正しくなくて、それでいいんだよ』みたいに思わせてくれたり、そんな力がアートにはあるかなって思います。世の中が完璧だったら、アートは存在しなかったのかもしれませんね。
2010年東京芸術大学大学院美術研究科修了。先史時代に木器時代があったことを想像し、人間の自然への眼差しと古くからの営みに着目した制作を行う。工芸や民俗芸術へ関心を寄せ、美術との接続のあり方を探る。2017年TOKAS二国間交流事業プログラムにてヘルシンキに滞在。
[ 直近活動 ]
2021年「Ai mi Tagai 2021」(遊工房アートスペース)
2019年DenchuLab.採択企画「ここに 暮す木、通う人」(旧平櫛田中邸アトリエ)
2018年「HIAP OPEN STUDIO」(ヘルシンキ)
これまでRESONANCE MATERIALS Projectは、様々なアーティストと切り口で実感の価値を追い求め続けてきました。プロジェクト立上げから現在まで、活動を通じてディレクター達が得た社会への、アートへの、プロジェクトへの想いを御覧ください。
「Resonance Materials Project」で生まれる作品や表現は、鑑賞者とのフィジカルな行為や体験を発生させる、あるいは想起させたりするものです。これらは用途を持った工芸品やプロダクトでもなく、彫刻や美術作品と呼ぶには文脈性が稀薄かもしれません。特徴的なのは、アーティスト達自らが素材をゼロから扱うことができる技術を持った人間だということです。彼らは素材と向き合うことをキャリアの中で経てきています。その経験は、紛れもない感触として表現の核となり、展開への思考となっているのです。つまりこの場は、作品を媒介として制作者の感触を鑑賞者の感触へと繋ぐ場と言えるのかもしれません。
2018年、2019年とミラノデザインウィークへ出展した後、新型コロナの影響で2020年ミラノへの出展を断念し、世界がオンライン化へと大きくシフトする中、プロジェクト自体の再考が迫られました。しかし、私達の身体的感覚は途方も無い時間の中で培われてきました。今、多くの人はフィジカルな感触やリアルなコミュニケーションの枯渇にストレスを感じているのではないでしょうか。
3回目となる「Resonance Materials Project 2021」はテーマを「不可視–invisibility-」とし、フィジカルな感触を核として横軸縦軸へと、認識とコミュニケーションの拡張を図ります。DESIGNART TOKYOというフィールドでの皆さんとの間に何が生まれるか、実際に体験して確かめてみてください。
東京藝術大学 GEIDAI FACTRY LAB ディレクター
東京藝術大学大学院美術研究科修了。同大学工芸科助教、文化庁新進芸術家海外研修員(イタリア)を経て、GEIDAI FACTORY LABの設立から携わる。専門の鋳金造形の他、鋳造技術史研究、バシェ音響彫刻の研究、産学連携プロジェクトの企画・運営など多岐に渡る活動を行う。
近年とても便利で快適となった私たちの暮らしは、新たなテクノロジーやサービスを生み出した、人の心が出発点となり発展してきました。たとえば世界中のつぶやきが交錯する場をつくることに、多くの機能を持ち歩けることに、誰かが特別な意味が見出したからこそ描かれ実現したのです。また、人が見出す意味は社会だけでなく、その人自身の生き方も豊かにします。価値観や個性を形づくり、行動する活力を生み出すからです。ゆえに「それぞれが様々に意味を見出す」ことが、人と社会の発展にとってとても重要だと感じています。
意味を見出すことは感じとることから始まります。2018年度のミラノデザインウィーク出品作 ”ゆらめく/Shimmer” が奏でる音色に、目を閉じて感じ入ったように耳を傾けていたある来場者の言葉「異国の作品なのに、なぜか私たちの(文化の)音色が聞こえてくる」が強く印象に残っています。それは言語を超えて、作家がすくい上げた “素材が奏でる声” を、来場者の根底に流れる “自身の成り立ち” が感じ取ったシーンであり、互いの心の奥底が響きあったシーンでした。私はそのシーンで、来場者を形づくっていた文化が、パーソナルなものから普遍的なものへとその意味を変えたように見えました。
心の奥深い場所で感じとった時、心を強く揺り動かされた時、何かに気づくかもしれません、未来像を描くかもしれません、生きる目標を得るかもしれません、生き方が変わるかもしれません、感じとりかたが変容するかもしれません、世界が広がるかもしれません。誰に届くかも、どのように届くかもわからないけれど、きっと感じとった人の心を動かす。そうした熱量と可能性こそが、アートや感動が持つ価値だと感じています。
COVID-19感染拡大によって私たちが捉えていた "あたりまえ" は大きく変わりました。視界に収まりながらも見えていなかった、或いは見ていなかったものを加えて、私たちの社会の新たな "あたりまえ" を描きなおす時期ではないでしょうか。生き方を定める心に、創造を生み出す心に、より大きなインパクトをもたらす「感動」を中心に据えることが"あたりまえ"になる。そんな社会を思い描いています。
株式会社ムラヤマ 感動創造研究所 所長
株式会社ムラヤマ デザイン部門~上海支店勤務を経て、2018年度より感動創造研究所(企業内研究所)に所属。感動が持つ価値の追求と共有によって、感動体験に富んだ心豊かな社会形成を目指す。